お客様にはいつも、「感じきってください」とお伝えしている。
先日、不安を感じきる方法をお伝えしたお客様から、こんな感想を頂いた。
ふと、「ん?これ全部妄想よね、、」となぜか思えて、、
そしたら少し気持ちが落ち着いてきて、あ、お散歩でも行こう、、と思い、お散歩に行ってきました。
「感じきる」と起こるのは、こういう
”なぜか””ふと”我に返る現象だ。
勝手に切り替わっていく。
不安は想像の域を出ないが、恐怖心は本物。
不安とは「明確な対象をもたない恐れの感情」と定義されるそうだ。
不安とは、「明確な対象をもたない怖れの感情である」と定義されています。つまり、ある人に漠然とした危険が迫り、自分がそれに対処できないかもしれないと感じたときに、生まれる感情であると言えます。
https://www.jcptd.jp/ 一般社団法人日本うつ病センター『不安って何?』より
つまり、乱暴に言ってしまえば「想像」や「妄想」でしかなく、事実ではない。
まだ起きていない、推測の域を出ないもの。
傍から聞けば、
「大丈夫でしょ」
「まだ起きてないでしょ」
「心配しすぎだよ」と言いたくもなる。
だけど本人としては差し迫る恐怖である。
傍から
「大丈夫でしょ」
「まだ起きてないでしょ」
「心配しすぎだよ」と言っても、
ほとんど意味がない。
言われたその時には、一時の安心がもたらされることもあるかもしれないが、
ほとんどは「臭いものに蓋」のようなもので、恐怖心自体が癒されることは少ない。
娘の良心を安心させてあげた赤毛のアン
赤毛のアンシリーズの『炉辺荘のアン』の中で、アンの娘ナンは神様と取引をするようになる。
アンが重い肺炎にかかった時も、ナンは取引をした。
「神様、もし母さんを丈夫にしてくださるなら、あたしは夜になってから墓地を通り抜けます。ああ、神様、どうか、お願いです。そしてもしそうしてくださったら、あたしはあとながいあいだお邪魔をしません。」
『炉辺荘のアン』モンゴメリ 村岡花子訳 第26章「学校」
アンは危機を乗り越え、回復し始めたが、
ナンはどうしても夜に墓地を通り抜けることができなかった。
取引の効果を信じ切っているナンは、
約束を守れなかったからには神様はアンを死なせてしまうと思い詰め、
神様をだましてしまったとアンに打ち明ける。
アンは、神様は取引はしないし与えるだけだとナンを諭した後、
それでも約束は守らねばと言うナンのために、夜に墓地まで一緒に行ってあげることにする。
「あたしがすっかり丈夫になったら、いつか夜、あなたといっしょに行ってあげましょう…そして門の外で待っているわ…そうすればあなたは墓地を通り抜けるのがちっともこわくないと思うわ。それでかわいそうなあなたの良心も安心するでしょうからね。そしてもうこれ以上神様とばかげた取引などしないわね?」
『炉辺荘のアン』モンゴメリ 村岡花子訳 第28章「神様をだましたの」
見守られながら墓地を通り抜けるように感じきる
「感じきる」ことは、
ナンがアンに見守られながら夜に墓地を通り抜けるのと似ていると思う。
ナンがもう少し成長すれば、夜に墓地を通り抜ける必要は無かったと振り返るかもしれない。
なぜあんなに必死に約束を守ろうとしたのか、
なぜあんなに墓地を怖がっていたのか、
不思議で滑稽に思うかもしれない。
けれどアンに見守られながら約束を果たした経験、
自分の良心を満足させた経験は、
ナンの心や自尊心を守ったと思う。
不安を感じきり、我に返ってしまえば、
なぜあんなに必死にもがいていたのか
なぜあんなに怖がって怯えていたのか
不思議で滑稽な気分になる。
でも実際に
「夜に墓地を通り抜けなければ」
「感じきらなければ」
満足した心で、このことを振り返ることが出来ない。
アンが神様についての間違いを諭すだけで、
墓地までいっしょに行ってあげなかったら、
不安に怯える心を
「大丈夫でしょ」「まだ起きてないでしょ」「心配しすぎだよ」
となだめるだけで終わってしまったら、
約束を守りたかった心は宙ぶらりんのまま、
不安を感じた心はくすぶったまま
になってしまう。
後から振り返れば、傍から見れば、
馬鹿馬鹿しい感情・感覚かもしれない。
それでもその感情や感覚を遮らないこと、
捨てないこと、
その思いを汲んであげることが、
「自然と」前を向く力になる。
だから感じきって欲しいのだ。
不安を感じきるには
安心して、不安でいさせてあげたらいい。
不安な時は、不安から抜け出したくて
・買って解決したくなる
・不安から遠ざかるように決断したくなる
・調べたくなる
けれど、
不安から抜け出そうとするほど、不安に追われることになる。
不安な時は
・ 買わない
・ 決めない
・ 調べない
のが大事。
スマホや、
買い物できる場所、
アドバイスをくれる他人
から離れて、まずはひとりになる。
ひとりの、不安から逃れられそうな魅力的な提案や商品から離れたところで、
「何が不安?」
「どうしてそれが不安?」
「そうなったらどうなりそう?」
と、ひたすら自分の『不安くん』の言い分を聞くだけでいい。
解決しなくていい。
ただ墓地を通り抜けるように、ただ言い分を聞く。
あまりにつらい時、しんどい時は、
もう寝てしまっていい。
そうしてると「ふと」我に返る時が来る。
ふと、「ん?これ全部妄想よね、、」となぜか思えて、、
そしたら少し気持ちが落ち着いてきて、あ、お散歩でも行こう、、と思い、お散歩に行ってきました。
間違いを諭すだけで終わらなかったアンのように、
少し手間でも、時間がかかっても、
我に返るその時まで、しばし不安にお付き合いしてあげる。
それで私たちの中のかわいそうなナンちゃんが救われていくのだ。
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