人生なるようにしかならない。
どうなるかなんて全くわからない。
「人生設計」なんて出来るわけない。
行き当たりばったりで
起きることに反応するだけ
起きることを乗り越えていくってことが
生きていくってことなのだろう。
だって全部、自分への必然として起きているのだし。
と、思って生きてきていました。
でも、そんなわけはなく。
「必然」にするためにコントロールを手放していた
無理がある部分をどう補っていたかというと、
因果関係を自分の責任からすべて手放していた。
わたしの行いすべては、
なんということでしょう、
一旦、ブラックボックスに入る。
ブラックボックスは、
宇宙とか、世界とか、
お導きして下さるなんらかの存在とか
なんかそういうもの。
で、わたしにはわからん仕組みで現実に還元される。

臨時収入があった時は
自分が感情を大事にしたからだ!と騒いだ。
(因果関係の説明はできない。。。
嫌なことが起きた時は、
咎められているのかも(誰にだ
とか
止まれというメッセージなのかも(誰からだ
とか
自分の何かが間違っているのだろうと、
不安になった。
”たまたま”起きた良いことも、悪いことも、
自分のせいだが、
いかんせんブラックボックスを経由するので、
現実をどうにかしたい時、
何をどう改めたらいいのかは、不明。
手探りでしかない。
わからんし。
んでもうなんか、怖い。
だって、
どうしたらいいかはわからんのに
自分のせいで嫌なことも起きちゃう。
いつだって一寸先は闇。
だから人生は行き当たりばったり。
だってどうしようもないよね!と。
「偶然」を理解していなかった
これをなんと言うか。
「『偶然』という概念を理解していない」
ということなのだそうだ。
いやいや、わかってますよ
「偶然」てありますよね。
と思ったけど、
すべて自分の行いのせいで
起こるべくして起こったのだと
解釈していたということは、
偶然を理解していないのだった。
偶然を理解する、ということは、
目の前に起きたこと以外のことが
起こる可能性があった、と
想像する必要があるらしい。
それは高度な思考であり、
人間の心理としては
因果関係がある方が「安心」なので
偶然を受け容れるのは難しいものなのだそう。
偶然って、あるらしい。(あるよぉ)
無駄に自責しなくてよくなった
偶然を理解していなかったと自覚した後、
メルカリで配送トラブルがあった。
私が出品した商品が、
凹んで届いたとのことだった。
発送時に凹みは無く、
梱包から業者に任せる形態で発送したので、
私のコントロールできない部分で発生したトラブルだった。
以前なら、
私の何が悪かったのだろう、
と全く関係ない日常の行いも反省の対象として
いたずらに落ち込んでいたと思う。
でも偶然はある、と改めて考え直した。
配送トラブルは、ゼロではないのだ。
ゼロではないのであれば、
自分に降りかかることもあり得ることだ。
偶然はあるのだから。
そう考えると、「仕方ないな」と切り替えて
冷静に対応ができた。
結果的に、相手の方から対応に感謝された。
偶然はあるし、自己責任もある。
偶然はある、としたら、
途中にあると思っていた
ブラックボックスが消えてシンプルになった。

行動を積み重ねれば現実に繋がる。
一方で、偶然何かが起きることもあるはある。
できることは、やればいい。
手の及ばないこともあるけど
それはそれでしゃーない。
自分のせいな部分も、
自分のせいじゃない部分もある。
よくわからん大いなる力に
怯えなくてもいいという優しさあり、
自己責任部分もきっちりある厳しさありの
ドライで平坦、平和、中庸な感じで
わたしが怯えていたほど
わけわからん世界ではなく
そこまで一寸先は闇ってわけでもない
それでよかったわけである。
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